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伝道標語
標語

今から八十六年前の大正十二年(一九二三)九月一日、関西地方をマグニチュード七.五の激震が襲いました。いわゆる「関東大震災」と呼ばれるものです。死者・行方不明者が十四万人、消失家屋が四十四万戸という未曾有の大震災でありました。

そのときに被災してなくなったのは日本人だけではありませんでした。混乱の中 「朝鮮の人が井戸に毒を入れた」など悪質なデマが飛び交い多くの朝鮮の人が殺されたのです。しかも殺傷を行ったのは主に一般の民衆でした。竹槍などで武装した民間の自警団が各地に検問を設け、朝鮮の人をみるや暴行・殺人を公然と行いました。まことに非人道的かつ恐ろしいことで、犠牲者は六千人とも云われます。当時の日本は朝鮮半島の植民地化を抵抗する人々に弾圧を加えていましたが、その一方で仕事を求めて日本に渡って来る朝鮮の人も大勢おりました。そうした時代背景の中でこの事件は起きたのです。在日コリアンの作家、パク・キョンナムさんは祖父が迫害に遭った話を伝え聞き次のように述べております。

「もしその時、祖父が殺されていれば私は存在しなかったわけですから、代を継いで恐怖が私の中に棲みついている感じがします。」

そのような状況下で、当時鶴見警察署の署長で約三百人余りの朝鮮の人々を命がけで救った大川常吉という方がおりました。「朝鮮の人が反乱し井戸に毒を投げ入れた」とのデマが流されて多くの朝鮮の方が殺されましたが、大川署長は震災で焼け出された三百人の朝鮮の人を總持寺や鶴見署に保護しました。それを知った千人もの群衆が周りを取り巻いて「朝鮮の人を出せ」と要求しました。大川署長は「毒を入れたという井戸水を私の処へ運んで来い。それを私が飲んでみせよう。異常が無ければ私に預けよ。それでも信用しないのならこの大川を先に殺せ」「どこの国の人間であろうと人の生命に変わりはない。それを守るのが私の務めだ」と言い放って群衆を抑えたのでした。こうして一人の犠牲者も出さずに三百人を守り抜いたのです。

 

さて、表題は總持寺開祖・瑩山禅師様の言葉です。

「すべての人々を救済したい。私の願いはただそれだけであって他になんの願も持たない」という意味です。群衆の行為は決して正当化できるものではありません。しかし当時の異常な状況下で自分が同じことをしなかったと誰が言い切れるでしょうか。殺害に加担しなくても暴走化した群衆から朝鮮の人を守る行為に出られたでしょうか。それを思う時、「生命の尊厳」を強く心に持ち信念を貫いた大川署長の凄さに圧倒されます。シンドラーや杉浦千畝の他に、このような素晴らしい人物が鶴見に存在したのは誇るべきことであります。大川氏は後に「鶴見のシンドラー」と称され、鶴見区潮田の東漸寺に在日コリアンにより顕彰碑が建てられております。

平成22年2月 本山布教部

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