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伝道標語
「無常を観ずることを忘るべからず、是れ探道の心を励ますなり」

私たちは日常の中で、当たり前に繰り返されている事柄に、どれほどの有難味を感じているでしょうか?ともすれば、「呼吸」していることすら忘れ、「おはよう」を忘れ、「いただきます」を忘れ、「行ってきます」「行ってらっしゃい」を忘れ、日々の何気ないリズムの中に、かけがえのない一瞬という自覚を、言葉や行いに反映させているでしょうか?

先ごろ四月、こちらご本山へ檀信徒の方々と共に訪れ、お参りをし、無事に帰り着いて安堵していたその夜、四月十四日、午後九時二十六分頃、熊本・大分を震源とした地震が発生致しました。 お参りの有難さを心に抱きつつも、またしても大変な境遇に身を置かれている方々の苦しみに、思いを寄せずにはいられなくなりました。

近年頻発する自然災害、そこで失われた数限りない尊いお生命。そして、残されたご遺族の悲しみを測り知ることは出来ません。只々、亡きお方のご冥福と、現地の早期復興をお祈りするばかりです。

平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、東日本大震災。あの日、仙台市内にいた私は、その後、友人の消息を心配した経験から、今日も定期的なかかわりに参加しております。 震災から三年半を迎えた忌日に、その友人が副住職を勤めるお寺を訪れ、いつもの通り法要に参列致しました。当日お集りの皆様を前に、彼が挨拶をしました。 「本日は、あの震災と大津波から三年半を迎える忌日です。あの日、お亡くなりになられた、お一人お一人にご供養させて頂きますと共に、先日、広島での土石流によって亡くなられた方々、更には、今年に入りましてから、数限りない自然災害によって亡くなられた、お一人お一人にご供養をさせて頂きました。」と。

私たちは、自分が苦しみもがいている時、私だけが地べたをのたうち回り、一人で暗黒の世界を彷徨っているように感じます。

そんな中、瑩山さまの「探道の心を励ますなり」という語は心響きます。本来は無常の世であるからこそ寸暇を惜しみ真剣に坐禅にとりくみ「探道」すべきといった意味ですが、「探道」は昨今の私の心では「寄り添い」と受け取らせて頂いた次第です。

言うなれば、悲しみを深く味わえば味わうほどに、同じ悲しみの中に居る誰かに、寄り添える心を磨いている、という風に。

確かに、大切な人を失った時、大切な人を失った誰かの悲しみが、瞬時に自分のこととして飛び込んで参ります。同時に、嬉しさに身も心も包まれた時、誰かの嬉しさが、自分のこととして瞬時に飛び込んで参ります。

その時、もう悲しみや歓びは、他人事ではなくなります。心動かされる体験を通じて、どんな時でも誰かと共にある私たち。

「無常を観ずること忘るべからず、是れ探道の心を励ますなり」とは、「常に激動の中に身を委ねていることを忘れてはならない。しかし、あなたは一人ではありません。あなたの傍にはどんな時でも、同じ境遇にいる誰かが共にあります。更に、曽て同じ境遇にいた経験から、あなたに思いを寄せる誰かが共にあります。」という強いメッセージだと、私は受け止めております。

瑩山さまが、元来坐禅の用心として示されたひと言は、今も私を励ましてくれております。 こうしたことも新たな気付きとして、誰かに寄り添い続けてゆきましょう。

平成28年6月(山形県・光傳寺住職 庄司憲昭)

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