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伝道標語
真実の儀は論ずべきにあらず、真実の論は、また義に帯せず。

七百余年前鎌倉末期の「真実の義は論じるべきではないし、真実の論は義を帯びることはない」という本山開祖・瑩山紹瑾禅師の示教は、時空を経て価値観が多様で主義主張が先鋭化してきた今現代の国内外の世相を警醒する金言たり得ると感じます。

特に秋深まる今時分、近年の健康ブームの影響か山登りをする方が増加しているそうです。都市部において週末に登山口を目指す電車は大勢の登山客でごった返します。

また、山道を使ってのランニング「トレイルラン」も盛んになり、昨年能登の地において大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師の御名を冠した「峨山道トレイルラン」が開催されたことも記憶に新しいところです。

近年徒歩の登山者と駆け抜ける「トレイルラン」愛好者たちとの間で、しばしばトラブルが起こるケースがあるようです。

従来の登山者と昨今の「トレイルラン」愛好者たちとでは、大きく歩みが違います。徒歩の登山者にとっては、「トレイルラン」愛好者たちは無謀なスピードで追い抜く脅威の存在であり、「トレイルラン」愛好者たちにとっては、従来の登山者は歩み遅く道上の障害の存在となってしまいます。徒歩の登山者は、細い山道を走ることの危険性を唱え、「トレイルラン」愛好者たちは、散策しながら道幅一杯に歩く登山者の不規則さを非難します。

同じく山頂を目指す者同士ですが、それぞれが〝脅威〟と〝障害〟を言い立てるのです。

是非・可否をことさら声高に論じる昨今の風潮の縮図にも感じられます。

瑩山禅師のお言葉を借りるならば、「真実の義は論じるべきでない~」ということでしょうか。

山道の整備も登山者の増加に伴い各地で進んでいるようで、木の杭などを利用した階段も急こう配の難所などに設置されている場合が多く見受けられます。山道の歩き方のコツとしては、階段に合わせて大股で歩くのではなく自分の身長に合わせ無理なく小幅で歩くのが疲れずに済むようです。強引に階段の高さや幅に合わせるとそれだけ足の筋肉を使いより疲れが出やすくなる、とのこと。一歩で行けそうなところでも敢えて二歩三歩で登るのが熟練者の登り方だそうです。

決められた大きさの階段に無理に合わせようとすると、たちまち疲労困憊となるのと同様に、正しいとされるものにいきなり合わせようとしても、それぞれ独自の価値観を持つ私たちは間尺に合わず疲弊してしまいます。禅師のお言葉の「~真実の論は義を帯びることはない」に通ずるところでしょうか。

「義」も「論」も、結局は自分にとって他者とは、といった関係性から導き出されます。「義」も「論」も、いかに正しいと思っていても、いかに理に適っているとしても、相対的な見解であり、そこに自分の優位性を見出そうとする限り、「真実」は失われてしまうのです。

自分を先に立てるのではなく、周囲との調和・人びととの和合の中に答えがあるように思います。

「真実」は、まずは調和し和合する自らの〝身心の調い〟から生まれ出るものなのではないでしょうか。

平成28年10月(布教教化部出版室長  蔵重宏昭くらしげこうしょう

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