開かれた禅苑
TOP開かれた禅苑今月の伝道標語 > 伝道標語
伝道標語
師若し真師に逢て参徹せずんば今日如何が祖師の正法眼蔵を開明することあらん

古来より、参禅学道するには、正師を求むべきであると示されています。正師とは、真師すなわち真実の師のことであります。参徹とは、参究徹底のことであり、悟りにつながる正しい参禅学道のことであります。

つまり、仏道修行は正しい指導者(正師)のもとでしっかり参禅学道をなせば、祖師様方以来の正しい仏法を明らかにすることが出来る、ということです。

故にまずは、正師にいかにして出逢うかが、修行するにおいて重大な命題なのです。 

 

正師は年齢に関係ありません。しかし、その師は、正伝の仏法を明らかに把握し、安心を確立し、弟子の悟りが師匠の悟りにかなっており、仏祖の命脈に通じ、正師としての照明を受けた師でなければならないのです。

そして、学問的理解のみを優先せず、世間の尺度に囚われず、悟りに通ずる資質を持ち迷・悟・凡・聖などの観念を超越した気概を持ち、自分の考えだけに囚われず、修行と学問、実践と理論が一致している師を正師とするのです。

 

修行者は、名誉、利益など、エゴの心を捨てて、自分の全身全霊を投げ入れる「仏の家」の主人は、真実の正師でなければなりません。正師でなければ、仏の子を仏の子として、正しく導くことはできません。そうでなければ、仏法は正しく相承されません。

世の中には、多種多様の職業があります。その 仕事をする人の中には、優れた仕事をする人がいます。しかし、誰でも最初から仕事をしっかり出きる人はいません。

初めは何もわかりません。いろんなことを教えてもらい、勉強をして、先輩の真似をして、やがて、しっかりと仕事が出来るようになるのです。真似をすることは大切です。只、誰の真似をするかが大事になります。

指導者の存在が重要です。どんな指導者に巡り合うかということです。例えば、スポーツをする人にとって、コーチや指導者の存在は大きいと言われます。

 

時代劇の映画やテレビドラマでは、お坊さんが登場する場面があります。その時に、網代傘に杖を持ち、手甲、脚絆で歩いています。その姿は、指導者を求めて歩いている場面でもあります。正師に会う為に諸国行脚をしていたのです。

そんなお坊さんを雲水と呼びます。行雲流水を略して雲水といいます。古来は正師に会えたらそこに留まり修行に励みました。

今の時代は雲水が先ず先にここと決めた道場へ赴きます。そこで、逢う様々な指導者によって修行の縁が出来ます。もちろん、修行者の求道の気持ちがその縁を結ばせるのです。

 

時代が変わっても、修行の内容は変わりません。

良い先生に巡り会うと、指導を受ける人はその人の長所が引き出されていき、すばらしいものが現れてきます。仏道においても、師匠の存在により、弟子の成長も変わってきます。正しい師匠に出会うことが、いつの世でも、どんな世界でも大切になってきます。

 

良縁で良い先生・師匠に出逢えることを願っています。

平成30年9月(新潟県 雲源寺 川原敏光)

ページ先頭へ

ホームページ記載の記事・写真等の転載はご遠慮ください
Copyright(c) Sotoshu Daihonzan Sojiji Temple All Rights Reserved
No reproduction or republication without written permission.