TOP総合案内 > 今月の伝道標語
伝道標語
道は山の如く 登れば益々高し
徳は海の如し 入れば益々深し

鎌倉時代に生きられた道元禅師は、真の仏法を求めて、二十四歳の時中国へ渡られました。天童寺で禅を学んでおられた道元禅師は、禅の真髄を参究したいという一心で、脇目もふらず坐禅修行に専心しておられました。

ある時、中庭を歩いておられた禅師は、寺のすべての食事を司る 典座てんぞ和尚に出会いました。和尚は、腰が大きく曲がり、かなりの高齢と見えました。真夏の日差しがじりじりと照りつける中、汗水を垂らして、ひとり椎茸を干しておられたのです。道元禅師は尋ねました。「どうして、老師のような尊い方が、そのようなたいへんな思いをして、椎茸を干していらっしゃるのですか、もっと若いお弟子さんにやらせたら良いのではないでしょうか」それに対して、典座和尚は「これは私のやるべきことじゃ。他のものは決して、私の代わりにはならぬ」と答えられました。さらに禅師は質問なさいました。「どうして、今のように最も日差しが強く、暑い時分になさるのですか。もう少し時間がたてば、日が傾いて暑さも和らぐでしょうに」それに対して、和尚は、「今の時をおいて、他にどんな時があるというのじゃ」と答えられました。

今でもそうですが、禅宗の僧堂での食材は、すべて植物性のものでまかなわれます。料理の味は、だしの善し悪しでほとんど決まります。おそらく当時は、干し椎茸が、重要なだしのひとつだったのではないでしょうか。最高のだしをつくるためには、最高の干し椎茸を作らなければならない。そのために、老典座和尚は、当たり前のように、自らの手で、しかも、最も日差しが強い中、熱心に椎茸を干しておられたのに違いありません。

老典座和尚の返答を聞いた道元禅師は、絶句されてしまい、何も言葉を返すことが出来なくなってしまわれました。仏道の本質とは関係ないと思っておられた、料理を司る典座和尚に仏道の何たるかを教えられ、ご自分のこれまでの視野の狭さと至らなさに唖然とされたのでした。その後、部屋に戻るに際し、どこをどう歩いたのかもわからなくなってしまわれたほど、禅師にとっては、心の根底を揺さぶられる出来事だったのです。

これらのことは、日本に戻った後に、『典座教訓』という書に記されました。『典座教訓』は、僧堂で料理をするもの心得としてだけでなく、禅の指南書として、曹洞宗では重要な聖典のひとつに数えられています。曹洞宗では、坐禅はもちろん大切な行なのですが、法要儀式も料理も食事も掃除もありとあらゆる行持作法が、坐禅と同じくらいに大切な行であると考えます。「遍界かつてかくさず」(真実はあらゆるところに顕わになっている)という『典座教訓』の言葉がありますが、仏道を歩めば歩むほど、これまで、雑用であって、つまらないこと、本質とは関係ないことと思って行っていたことが、実は、たいへん尊いことだということに気づくことが出来るのです。それだけ、仏道というのは、高い山であり、限りなく裾野が広がり、従って、どこからでも登れるものであるということなのかもしれません。

私は、二十数年前に、本山に安居しました。本山の仕組みは、最短で三ヶ月ごとに、様々な寮に転役し様々な勤めを果たします。正直、当時の自分としてはあまり望まない寮に配役されることもありました。しかし、今考えてみると、そのときの経験が、どれだけ、後の自分を助けてくれたか、ということを身を以て体験しています。まさに「遍界かつてかくさず」です。

表題の言葉は、瑩山禅師の撰述された『伝光録』の第十章にある言葉です。仏道は山のようなもので、登れば登るほど、さらに高いものだとわかる。仏徳は海のようなもので、深く入れば入るほどさらに深遠なものであると知る。という意味です。

私たちは何かをするとき、ゴールが近づいてくることを信じて行動します。しかしほとんどの人が、仏教を学べば学ぶほど、そのゴールが遠くなっていってしまうような思いをするでしょう。仏道に限らず、本当の道というのは、そのようなものだと思います。それだけ、頂上が高く、奥が深い、ということなのかもしれません。だからこそ、登る価値のあるものだといえます。そして瑩山禅師は、すべての人は道器、即ち無限の可能性を持った器であり、誰もがお釈迦様が登られた山の頂上に登ることが出来るのだと、私たちに教えておられます。

平成24年5月 (本山放光堂司兼布教室次長 花和 浩明)

ページ先頭へ

ホームページ記載の記事・写真等の転載はご遠慮ください
Copyright(c) Sotoshu Daihonzan Sojiji Temple All Rights Reserved
No reproduction or republication without written permission.