今月のことのは

雨曼陀羅華 散仏及大衆
 ─曼陀羅華を雨らして
    仏及び大衆に散ず─
うーまんだーらーけー さんぶつぎゅうだいしゅう
 ─まんだらけをふらして
    ほとけおよびだいしゅうにさんず─
『妙法蓮華経 如来寿量品』

花はなぜ美しいか

曼陀羅華とは、マンダラーヴァという天界の花です。お釈迦様が教えを説く時に、空から降ってくる花といわれています。天界の花というのは、最上の美しさをもった花であるということでしょう。

花はなぜ美しいのでしょうか。

紅や青、黄色や純白などの、きれいに色で咲いているからでしょうか。風に揺れる繊細な花弁や、美しい曲線を描くその形があるからでしょうか。

それらは、花の美しさを成り立たせる大切な要素ではあるけれども、それだけでは足りないような思いがいたします。

花はなぜ美しいか。

それは、花は枯れていくものだからではないでしょうか。

咲いている時だけが、花なのではありません。種から芽が出て、茎がすくすくと伸び、花を咲かせます。やがて、花はその色を失い、しぼみ、土に帰っていきます。その全体が花なのです。

花は、そのいのちのひと時ひと時を、ただ自然に生きています。成長の時も、大輪の花を咲かせる時も、色を失い枯れていく時も、ただそのいのちを、自然に生きているのです。

花は枯れていくから、言葉を換えれば、常に変わり続けるいのちだからこそ、美しいのではないでしょうか。天界の花マンダラーヴァもそうだと思います。

お釈迦様のご生涯も、花のようであったのではないでしょうか。青春の時も、さとりを開かれた時も、伝道の時も、老いの時も、病を得死に臨む時も、お釈迦様は、常に変わり続けるご自身のいのち、自然に、丁寧に、心をこめて言い続けたのです。

そのように生きたお釈迦様が、説法を行う時、天界の花マンダラーヴァが降ってくるのは、とても象徴的な光景でありましょう。

教えは雨のごとく

「曼陀羅華をらして」というのは、マンダラーヴァが雨のように降りそそぐさまをあらわしています。

お釈迦様の教えは、雨のようであると思います。

雨は、ところを選ばず降ります。ここに降りたくないとか、降るのならここがいいといった選り好みをせずに、あまねくあらゆる場所に降りそそぎます。

お釈迦様の教えも、あらゆる人々に、選り好みをせずに、あまねく伝わります。

また雨は、乾ききった大地に潤いを与えてくれます。

お釈迦様の教えも、乾ききった私たちの心にしみわたり、安らぎに導いてくれるのです。

さらに、例えば、燃えさかる炎が大地を覆っている時、雨が強く降りそそいだならば、炎を消し止めてくれるでしょう。

私たちの心が苦悩の炎に覆われている時、お釈迦様の教えが雨のように降りそそいで、その炎を消してくれるのです。

雨のように降りそそぐマンダラーヴァは、「仏及び大衆」すなわち、私たちにだけでなく、お釈迦様にも降りかかっています。ご自身が説く教えに、ご自身も力を得ていることをあらわしているといえるでしょう。


曼陀羅華が雨のように降りそそぐ光景は、花のように生き、雨のような教えを説いたお釈迦様に、まことにふさわしい光景ではないでしょうか。

平成30年3月
茨城県 安禅寺住職 染谷典秀