今月のことのは

世尊拈華瞬目し、迦葉破顔微笑す
世尊曰く、吾に正法眼蔵涅槃妙心有り
摩訶迦葉に付嘱す
せそんねんげしゅんもくし、かしょうはがんみしょうす
せそんいわく、われにしょうぼうげんぞうねはんみょうしんあり
まかかしょうにふしょくす
本山開祖瑩山禅師『伝光録』
第一祖 摩訶迦葉尊者章

本山には幾種類もの桜の木があります。二月下旬から開花がはじまり、最初は河津桜、続いて緋寒桜、お彼岸を過ぎてソメイヨシノ、さらにしだれ桜、山桜、大島桜、最後は四月中旬に八重桜というように、例年見事な桜のリレーが見られます。

その、桜リレーも終盤の四月八日、お釈迦しゃかさまのお誕生日を迎えます。一般に、春の花々で花御堂はなみどうを作り、お釈迦さまの御誕生仏をお祀りするところから、花祭りともいわれます。

本山では大祖堂に花御堂を設置し、小さな御誕生仏をお祀りし、禅師さまご導師のもと釈尊降誕会しゃくそんごうたんえが厳修されます。法要後に花御堂は正面入り口付近に移され、当日参詣された方々が、御誕生仏に甘茶をかけて合掌し、お釈迦さまのご生誕をお祝いいたします。

お釈迦さまは今から二五〇〇年程前に、古代インドのカピラヴァストゥ郊外の花が咲きほこるルンビニ園で、ご生誕されたと伝えられています。

仏典によると、生まれてすぐに七歩歩まれ、右手を上、左手を下に差し向け「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん」と唱えられました。そのお姿が御誕生仏となっているのです。このお言葉は、一説には「今いただいている命は、この世で唯一無二のものであり、この上なく尊いものである」と説かれたのだと言われています。そして仏のご生誕を喜んだ龍神が、産湯として甘露の雨を降らせたと伝えています。このことが、御誕生仏に甘茶をかける由来になっています。

ご生誕後のお釈迦さまのご生涯については、仏典にて様々説かれるところではありますが、十大弟子をはじめ多くのすぐれたお弟子様たちに恵まれました。そのお弟子様たちのお力によって、お釈迦さまの尊い御教えがまとめられ、仏法として、正しく後世に伝わることになったのです。

お釈迦さまが入滅された後すぐに、仏法をまとめる経典結集けつじゅうの事業が実施されたといわれますが、そこで五百人もの僧を指導しまとめ上げたのが、摩訶迦葉尊者まかかしょうそんじゃでした。摩訶迦葉尊者は、十大弟子の中で頭陀ずだ第一と言われ、仏道修行の根本である清貧を旨とする頭陀行ずだぎょうに徹した方でした。また晩年のお釈迦さまの信頼が最も厚く、以心伝心でお釈迦さまの真意を理解することができたといわれます。

表題のお言葉は、仏教では有名な「拈華微笑ねんげみしょう」のお話を、瑩山禅師が『伝光録』にしるされたものです。ここでは、お釈迦さまの真意を「正法眼蔵涅槃妙心しょうぼうげんぞうねはんみょうしん」という禅の言葉で表現されています。表題の意味は「お釈迦さまは、優曇華うどんげの一枝を手に取ってひねられ、同時に瞬きをされました。それをご覧になっていた摩訶迦葉尊者はにっこりと微笑まれた。そしてお釈迦さまはおっしゃられた。私に正法眼蔵涅槃妙心の仏法がある。これを摩訶迦葉に伝える。」とさせていただきます。

今年は冬が長かったせいか、桜の花が特に美しく感じられます。そんな思いを知る由もなく、桜たちはいつものように、命いっぱいの花々を咲かせています。

今、世界は混迷の度合いを深めていますが、行く先を見失わないためにも、いつも変わらずに静かにすわって、お釈迦さまが「誰にでも備わっている命の源」ともお示しくださった「正法眼蔵涅槃妙心」の仏法に少しでも触れてみたいものです。

令和4年4月
本山放光堂司 花和浩明