今月のことのは

聖を去ること時遠く、道業未だ成ぜず。
身命保ち難し何ぞ後日を期せん。
しょうをさることときとおく、どうごういまだだじょうぜず。
しんめいたもちちがたしなんぞごじつをきせん。
本山開祖瑩山禅師『伝光録』
第三十三祖 大鑑慧能禅師章

冒頭の一節を訳せば、聖とはお釈迦様のことで「お釈迦様が入滅なさってからどんどん時は遠くへ過ぎ去っているにもかかわらず、(己の)仏道修行は未だに完成していない。(無常の世に生きる己の)身体や命はいつまでも保ち難いもの。どうして(修行を今打ち込まずして)後日に期待することが出来ようか。」と、仏道に参ずる者それぞれに問いかける励ましにも受け取れる内容です。

瑩山禅師の著された「伝光録・大鑑禅師章」には中国の第六祖・大鑑慧能禅師の半生も綴られています。

慧能禅師は幼少のころ、金剛経の一文を耳にした時大いに感じるところがあり、その一文の意味を解き明かすべく、後の師匠となる中国第五祖・大満弘忍禅師のもとに参じます。

弘忍禅師は若き慧能禅師の力量が並並ならぬことを見抜かれ、「仏の真実の教えは文字のみの理解の外にある」ことを知らしめるため、杵臼を使っての精米労働を命じられます。

慧能禅師は、お経の指し示す真意究明のため、またお米を口にする皆の為の利他の修行とばかりに、ひたすらの精米労働に従事すること八か月に及んだと記されます。

そして弘忍禅師は八か月過ぎたころ慧能禅師の力量がお釈迦様以来伝わるお袈裟を託すに相応しいと認められ、他の弟子たちの反感を買わないよう秘かにお袈裟を渡されました。入門してわずか八か月で慧能禅師は仏の衣鉢を継がれたのです。

しかしそのことが発覚し、慧能禅師より先に弘忍禅師へ参じていた古株の修行僧たちによって、伝わったお袈裟を奪われそうになります。が、逆に奪いにきた者を諭し共に正しく仏の道を歩む勝友としたのでした。

諭された者は「冷暖自知」つまり冷たいも暖かいも結局自分で知るしかないことに気付き、己自身が仏であることを明らかにして行く、と誓ったとも紹介されています。

瑩山禅師様はこうした慧能禅師のエピソードを表示され、冒頭の一節を注釈の一つとして加えられました。このエピソードのポイントは二点。ひとつは経典の文字にとらわれることなく、修行は己の身で実践すること。もうひとつは、慧能禅師の八か月間の精米労働ぶりより、修行は一刻一刻を大切に専一に為すこと。

これらのポイントは、今現在ご本山の行持に反映されています。お釈迦様のお悟りを開かれた成道の故事になぞらえ、毎年十二月一日から日付の変わる八日零時頃まで坐禅を専一に行ずる「成道会攝心」が執り行われます。

この期間はご本山全ての業務を休息し、ほとんど全ての者が大僧堂で坐禅を組むのです。

他に何をするでもなく、ただひたすらに坐禅を組み己の身体で仏のすがたを現し続ける。そして、過去のことに囚われたり未来のことを思い悩んだりと時間を無駄にせず一呼吸一呼吸今のひと時を丁寧に行ずる。こうしたことを心掛けながら約一週間を過ごします。

冒頭の一節、ことこのような攝心中においては、ことさら瑩山禅師からの親切な励ましとして身に沁みるところです。

平成29年12月
本山布教教化部 出版室長 蔵重宏昭