今月のことのは

縦使、難値難遇の事有るとも、
  必ず和合和睦の思いを生ずべし
たとい、なんちなんぐうのことあるとも、
  かならずわごうわぼくのおもいをしょうずべし
本山開祖瑩山禅師『洞谷記』

新たなる思いを…

新年あけましておめでとうございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

さて、事を新たにする時には、様々な決意や思いがあると思います。

ここ大本山總持寺を開かれた瑩山禅師さまは、五十歳の時に、石川県羽咋市に永光寺を開かれました。その時、このお寺を未来永劫お守りするにあたって、後に続く方々に対して心構えを示されました。それが表題の一文です。

「たとえ、どんなに難しい問題に出会ったとしても、僧侶や檀信徒が必ず「和合」して、睦み合う思いを起こせば、必ず問題をのり越えることが出来る。」という教えです。

お寺を始めるにあたって、この「和合」という思いは、瑩山禅師さまの願いであったに違いありません。

和合

「和合」とは、決してお寺を守る事だけではなく、一般社会においても、同じではないでしょうか。和合に必要なことは、常に相手の存在を感じるという心です。しかし、人は、忙しかったり、苦しかったり、時間に追われてしまったり、欲が出てしまったら、ついつい、自分の事ばかり考えてしまい、相手の事を考えられなくなってしまう。そうすると、自分が気付かないうちに、相手を傷づけてしまうことがあります。

では、どうするのか…。

「ありがとう」の文化

私の住む北海道留萌市は、人口二万四千人の日本海に面した港町で、昭和三十年ころまで、ニシン漁が盛んな街でした。お正月定番、数の子は、ニシンの魚卵です。

夏は、どこまでも続く日本海とそこに沈む夕日がきれいな街ですが、冬になれば、前が見えなくなるほどの猛吹雪になる地域でもあります。

そんな、地域に伝わる文化が「どーも」と「なんも」の文化です。

先日、地元の漁師さんと話す機会がありました。「ニシン漁は、全てがチーム作業だ。」と言います。漁をする若い衆は、危険な荒波のなかで漁をします。そんな時に、大事なことは、「周囲を見渡し、仲間の動きや次の動きをとっさに判断して、相手の動きと自分の動きを同調させることだ」と言います。そして、「船の上は、自分も相手もない一つの世界だ。」と言います。そんな時に掛け合う言葉が「どーも」と「なんも」だそうです。仲間が、自分に何かをしてくれたとき「どうも(ありがとう)」と短く言い、それに対して「なんも」と相手を思い短い言葉で返します。「なんも」は、「そんなことないよ」「どういたしまして」「いいから、いいから」に相当する北海道弁です。その相手を思う心が厳しい自然で生きる留萌の人の心に残っているかもしれないな。と漁師さんは言います。

「愛語」の実践

仏教では、愛語という教えがあります。思いやりの言葉ですが、ただただ優しい言葉でもなく、相手と一つになって、相手が穏やかになり、相手を善くしようという言葉です。

そして、その言葉は、必ず、人を動かす力があり、相手だけではなく、自分に対しても善いことになるとも示されています。

和合の一年を

どうぞ今年一年が瑩山禅師様の和合の心と愛語の行いで「あなたも私も一緒に幸せになる」一年でありますようにお祈りしています。

もしも、苦しくなったり、周囲が見えなくなったら、是非とも總持寺にお参りください。ご一緒に和合の心を調えてまいりましょう。

平成30年1月
北海道 天總寺副住職 谷龍嗣